横浜の歴史。~数々の苦難を乗り越えた横浜~

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こんにちは!横浜大好きポンタローです!

今日は横浜の歴史をご紹介☆


横浜の開港以前は東海道の「宿場町」だったそうです。

そこに100世帯程が住む「横浜村」があったそうなのですが、

その場所で1850年に「日米和親条約」が結ばれました。

その4年後、条約に従って1859年7月1日横浜が「開港」しました。

横浜は開国した日本の象徴となる場所となり、その魅力にひかれて多くの人が集まりました。

1889年には人口が12万人を超え、「横浜市」となりました。

1909年には「開港50周年」を迎えました。

 

しかし・・・。

 

1923年9月1日。関東平野南部を大震災(震度6)が襲いました。建物や経済は大きな被害を受けました。

しかしながら、市民の力で復興を成し遂げ、

1930年「山下公園」が開園されました。震災時のがれき等で埋め立てた土地だそうです。

1942年には人口が100万人を超えました。このころ、横浜市は拡大を続け、現在と同等の広さとなっています。

 

順調に見えた横浜市。しかしまた悲劇が襲います・・・。

 

1945年5月29日。第二次世界大戦中に横浜への空襲が何度も行われ1万人近くがなくなり、

横浜の街は壊滅的な打撃を受けたのです。

終戦後、横浜の約30%、そして港の施設のほとんどが連合軍に接収されました。

しかし、また横浜っ子は立ち上がります。

1949年には野毛や反町にて貿易博覧会を開催するなど、横浜を盛り上げました。

海外からの客船や貿易によりジャズやR&Bの文化が横浜から発信され、日本に広がっていきました。

1958年には「開港100周年」を迎えました。記念として「マリンタワー」の建設、「氷川丸」の設置等行われた。

高度成長期に入ると、横浜の埋め立て開発が進められました。

1968年には人口が200万人を超え、1978年には272万人の全国2位の人口都市となりました。

1989年には市制100周年、開港130周年記念として「横浜博覧会」の開催、

「横浜美術館」・「横浜アリーナ」・「ベイブリッジ」が建設されました!

1990年には「ランドマークタワー」が建築開始。3年後に完成を迎えました!

設計者はアメリカの建築家ヒュースタビンス。

三菱地所が所有しているんですね。

 

~21世紀~

 

2002年はワールドカップ決勝戦が開催され、同年には人口が350万人に達しました。

「横浜赤レンガ倉庫」も同年に展示スペース、ホールなどの文化施設、商業施設として営業が開始されました!

2004年には「みなとみらい線」が開業。

その後、カップヌードルミュージアム、MARK ISみなとみらい、アニヴェルセルみなとみらい等々・・・!

数々の名建築、商業施設が誕生していった訳ですね!

 

開港し、異文化が融合した「横浜」。

魅力的なわけです。これからどんどん魅力を発信していきますね☆

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